■人と関係が作れない/Aさんのお悩み
人といてもどう見られるかが不安でいつも無邪気な自分を作ってしまう。
表面的な友達はいても本音で話せる友達はいない。
いつも孤独で苦しい。
<幼少期の状況とセッションの主な内容>
きょうだいは3人きょうだい。Aさんは末っ子。
両親がいつも喧嘩していて、母親が病弱なこともあり、いつもいい子にふるまう。
両親の喧嘩、母親がいつか死んでしまうのではないか?という恐怖が根底にあり、
暗い家族の中でいつも元気で家族の場を和ませるピエロ役に徹していました。
セッションで母親がひとりでがんばってしまう理由を見てゆくと、
実家の家族がバラバラだったため、誰にも頼らず、ひとを信用しないことでひとり頑張り続けながら、
自分に存在価値を感じて生きてきたことがわかりました。
「どうしようどうしよう」と言いながら誰も信用しないで頑張る母親の恐怖をAさんは請け負っていたことに気付き、お母さんが死んでしまうんじゃないかと怖かった。自分がなにも出来なくていつも自分を責めていた。お父さんとお母さんが喧嘩していて悲しかった...という 恐怖と悲しみの感情を解放してゆきました。
笑顔でピエロ役をしてきている人は弱音を吐いたり、負の感情を表に出せません。なにが嫌だったか?なにが辛かったか?を小さな自分に戻ってお話ししていただくうちに、ピエロ役を演じないで素直に自分の感情を表に出しても、受け入れてもらえる、わかってもらえるという体験を通して、母親と同じように自分もひとを信用しないで、頑なに自分を守ってきたことに気づいてゆきました。
現在では、Aさんは近づきたいひとに近づいて、ひととの距離を縮めることができるようになってきています。
■集団が苦手/Bさんのお悩み
会社、習い事やセミナーなど、ひとがたくさん集まる場所に行くと、自分はだめで恥ずかしい人間なんだと感じてしまうので、
なるべくひとりでいるようにしている。
本当はひとと関わりたいと思うが、ひとが怖い。会社でも集団での会議などが怖く、責任ある仕事は請け負えない。
<幼少期の状況とセッションの主な内容>
Bさんは姉とふたり姉妹。
母親と父親はBさんが20歳くらいで離婚。
母親は実家のきょうだいの中で末っ子。
他のきょうだいが優等生の中でだめでできない子供として育つ。
母親(祖母)は母に対していつも「どうしてそんなにできないの?だめなの?」という態度で接し、
結婚も「そんな男と結婚しても幸せになれない」と反対した。
母親は自分の母への反抗心でBさんの父親と結婚。
Bさん姉妹が生まれたが、お正月などに母親の実家に帰省しても、Bさんたちだけ冷たくされたり、と意地悪をされた。
両親を冷たい目で見る親戚たちに会うととても怖く、従兄弟たちの中でも「自分は恥ずかしい人間なんだ」「劣った人間なんだ」と感じていた。
周囲の目がとても怖かったのはここから来ていたと思い出してゆきました。
また、それに耐えているお母さんがかわいそうで、ずっと気持ちの面倒を見てきていて、父親の悪口も聞かされてきたことがとても悲しく、辛かった、という感情を解放してゆきました。
そして、自分も「恥ずかしい人間だから、できない人間だからという理由」で、責任ある仕事はやらないできた。ひととも関わらないできた。
これは「母親と同じ生き方」を選んでいるんだ、と気づけるようになってゆきました。
Bさんは「わたしはお母さんと同じ生き方はもう嫌」と気づいた時から、自分のエネルギーが出てきました。 徐々に、ひとに伝えたいことが伝えられるようになって、多くのひとがいる場所でも、会話を楽しめるようになってきたようです。
■言いたいことが言えない/Cさんのお悩み
会社の上司に言いたいことが言えない、断れない。
よく面倒な仕事を請け負ってしまうが「わたししかできるひとがいない」と思うと、他のひとに仕事を回せなくなってしまい、結局自分でやってしまう。
後で「いつも自分ばっかりこんな目にあう。みんなは楽していてズルイ!」とイライラしてくる。ちゃんとできないひとに憎しみが湧いてくる。
<幼少期の状況とセッションの主な内容>
Cさんは2人きょうだいの長女。(下に弟)
母親は幼少期に養子に出され、経済的な事情で実の両親と暮らせなかった。
肩身の狭い思いをしながら、自立の道を探して手に職をつけて家を出て、Cさんの父親と結婚した。
父親の実家は祖父が事業に失敗してしまい、きょうだいもたくさんいたので居場所がなく、早く自立をして東京に出てきて職を探した。
両親ともに、「自分の親みたいにはならない」という意識が強く、親を反面教師にしてひたすら頑張る人生を送る。共働きで誰にも頼らず、黙々と仕事をして、家を購入し、ローンを返済する人生。
これが幸せなんだと両親は思っているようだったが、夫婦の会話はあまりなく、Cさんが母親の言葉を父親に伝えたり、夫婦喧嘩の仲裁に入ったりして、ふたりの仲を取り持ってきた。
弟がやんちゃをすると、なだめ役をしてきた。そんなCさんに母親は「頼りになるのはあなただけよ」と言って、よく母親の辛かった思い出話を聞かされてきた。
Cさんは両親から「家族の会話」を学んでいませんでした。
「お母さん」と呼ぶことも、喉が詰まって言えない状態(お母さんはいつも後ろをむいて忙しそうだったから)で、言いたいことが浮かんだらすぐに口にしたり、親に助けを求めたり、親が自分と同じ気持ちになってくれたり、一緒に楽しく歌を歌ったり、親が「どうしたの?」と聞いてくれたり、、、という関わりが全くありませんでした。子供らしく振舞うことができず、いつも親の母親役をしてきたのでした。
親が自分の存在に目を向けてくれないことがどんなに怖かったか、悲しかったか、に気づいてもらいました。そして、自分の存在をアピールするために、いいこで気を利かせていた、かわいそうな両親のために、嫌なことも嫌と言わずに家族のバランスを取るためにしてきたということ。
そして、自分がその役割を演じることにメリットを感じ、「いいひと」「できるひと」をしていると「ここにいていい」と思えていた。だから、できないひとにイライラしていたし、自分よりできるひとがいると、もっと頑張れてきた、という生き方に気づいてもらいました。
「親を喜ばせる生き方や役割は、わたしはもう降りる!」と決めてから、Cさんはできなかったりわからなかったら仲間に相談したり、 無理だと思うことは上司に言って、他の案を提案したりというふうに、建設的に会話ができるようになってきました。